21世紀の知を読みとく ノーベル賞の科学 【生理学医学賞編】
2016年、「オートファジー(細胞の自食作用)の仕組みの解明」に対してノーベル生理学・医学賞を単独受賞した大隅良典博士。誰も相手にしていなかった酵母細胞の液胞の働きに着目し、粘り強く地道な観察を続けた結果、すべての動植物細胞に共通する仕組みを解明し世界を驚かせた。その成果は、がんや免疫系の病気、認知症などの新たな治療法を生み出す可能性を秘め、新たな生命科学の一分野を切り開いたと言っても過言ではない。
ノーベル賞を獲得した「バイアグラの父」が発見〇〇がEDを解決する ; L-アルギニン
NO(一酸化窒素)といえば、自動車の排気ガスなどに含まれ、スモッグや酸性雨といった大気汚染を引き起こす原因物質のひとつとして以前から知られてきました。ところが、実はこのNOが、人間の体内では血管を拡張させて、血流を調整する手助けまでしていることが今では明らかになっています。画期的な研究を成し遂げたのは、米国カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)医学部薬理学教授のルイス・J・イグナロ博士。1998年ノーベル医学・生理学賞の受賞者です。世界的に有名な治療薬バイアグラも博士の研究を元に開発されたものですが、NOが持つさまざまな可能性のほんの一例を示したに過ぎません。先日その博士が来日し、シトルリン研究会がインタビューを行いました。いかにNOが人間の体にとって有益な効果を持っているのか。NOの研究を始めたきっかけから、体内におけるNO産生をサポートするシトルリンの摂取方法まで、博士は熱く語っています。若き日、UCLA薬理学気鋭の研究室を主宰されておられたイグナロ博士のもとで学んだ林 登志雄先生(名古屋大学医学部附属病院老年内科講師)にお話を聞いていただきました。
1941年ニューヨーク生まれ、1962年コロンビア大学で薬学修士取得、1966年ミネソタ大学で薬理学博士号取得、1966年~1968年NIH(米国国立衛生研究所)研究員、1968年~1972年チバガイギー社(医薬品会社)主任研究員、1973年米国チューレン医科大学薬理学講座助手、1976年米国チューレン医科大学准教授、1979年米国チューレン医科大学教授、1985年カリフォルニア大学ロサンゼルス校医学部薬理学教授。1980年代初頭から、亜硝酸化合物からNO(一酸化窒素)に至るまで、各種窒素化合物の血管への作用に注目して研究。内皮から分泌される血管弛緩物質(血管内皮由来弛緩物質、EDRF)がNOであることを証明されました。この研究で1994年ラッセルUCLA賞、1995年チバ高血圧研究奨励賞の各賞に加え、1998年ノーベル医学・生理学賞を受賞されておられます。また世界各国の研究室との共同研究を積極的に進め、高血圧症、動脈硬化症に対するNOの役割を明らかにするとともに、NO合成酵素の基質である酸素及びアルギニンの代謝も研究。血管内分泌の概念を提唱、定着させました。国際NO学会理事長及び学会誌「NO」のEditor in Chiefとして、NO研究の発展にも大きく寄与されています。
ノーベル生理学・医学賞を受賞されています。 UCLA医学部薬理学教授 イグナロ博士 Dr
1984年信州大学医学部医学科卒業、1990年名古屋大学大学院医学研究科博士課程修了、1991~1992年博士研究員 (UCLA 医学部薬理学)、1992~1998年 名古屋大学医学部附属病院老年科医員、1998~2002年名古屋大学医学部附属病院老年科助手、2002~名古屋大学医学部附属病院老年内科講師。2009年日本NO学会学術集会副会長。老年病、総合内科、糖尿病、循環器各学会認定専門医。今回お招きしたイグナロ博士はUCLA留学時代の恩師であり、長年、共同研究のみならず公私にわたる交流を続けられています。
それまで、遺伝暗号がDNAに書き込まれていることがわかっていたんですが、それがタンパク質に変換されている原理みたいなことはわかっていませんでした。しかし私が修士課程の頃は、たとえばUUUという塩基の並びがフェニルアラニンというアミノ酸に対応しているというように、遺伝暗号とアミノ酸との対応関係が次々に解明されていく時代で、どういうことをやったらそういう謎が解けていくのかということが、とても魅力的に思えました。単純に言えばパズル解きのような興味とも言えます。
ノーベル賞受賞「バイアグラの父」 ムラド博士と中国の病院で懇親会
科学者にして小説家
ピルの父・ジェラッシによるバイオテク小説
「いい薬ができました」
バイアグラに匹敵する薬の開発とFDA承認、ベンチャー企業の立ち上げと訴訟合戦、そして勝利へと若い女性の大活躍を描く。彼女の夫もこの薬を必要としたのだろうか?――これは小説です
全米3 000万人、日本980万人が悩むED(勃起不全)障害に有効な薬の開発を目指し、恋人を実験台にしたとんでもない失敗から、ストックオプション、IPO、株主訴訟など、「男たちの薬」の開発と企業化に挑む若き女性研究者の波乱に満ちた物語。バイアグラ開発のきっかけとなった1998年ノーベル医学生理学賞受賞の「体内における一酸化窒素NOの作用」を題材に、研究開発の内幕、米国におけるベンチャー企業の内情をユーモラスに描く。
Murad米テキサス大教授の薬理学者3氏に授与されることが発表された。その授賞理由は「循環器系における信号伝達分子としての一酸化窒素(NO)の発見」である。1996年には米国のラスカー賞をFurchgott,Murad両博士が授与されていたことから,ノーベル賞の決定も間近であろうと予想されていたが,NOに関する研究が今や生命科学の分野で爆発的な勢いで発展している現状でその発見者に授与されるのは当然と言えよう。
本稿ではNOの発見に至る経過,歴史的背景,および今後の展望について述べてみたい。 Furchgott博士は摘出血管を用いて薬物の弛緩反応を研究していたが,古くからアセチルコリンを生体に投与すると血管拡張作用が生じるのに,摘出血管に投与すると逆に収縮作用が観察されることに疑問を抱いていた。このようなアセチルコリンの収縮作用は従来の血管のラセン標本を用いる場合にみられたが,新しく輪状標本を用いると弛緩作用が観察されるようになった。彼はイソプロテレノールの弛緩作用をみる目的でテクニシャンに血管標本を先にノルエピネフィリンで収縮を起こした後,十分洗浄して次にアセチルコリンの収縮反応を観察するというプロトコールを指示した。ところがアセチルコリンでは弛緩作用が起こってしまうとテクニシャンが彼の元に報告に来たが,よく聞いてみるとノルエピネフィリンの収縮後,洗浄操作を怠っていたことが判明した。すなわちノルエピネフィリンの前収縮の後にアセチルコリンを投与すると常に弛緩反応が観察され,しかも標本作製の際に内膜を傷つけやすいラセン標本より輪状標本で多くみられることから,この弛緩反応は内膜の存在が重要ではないかと推測した。そこで内膜が無傷の標本と擦過した標本を用いて比較してみると,アセチルコリンは前者では弛緩反応,後者では収縮反応がみられた。彼の予想は見事に的中したわけで,その間のいきさつは彼自身の手による逸話に詳しい(Circulaton 87〔SupplV〕:V-3,1993)。彼はこの物質を新たに内皮由来弛緩因子(endothelium-derived relaxing factor:EDRF)と命名した(Nature 288:373,1980)。EDRFの発見はまさにテクニシャンのミスが発端とはいえ,やはり彼の科学者としての鋭い洞察力と実験結果をアーチファクトとして片づけず,その原因を執拗に追求した研究者としての探求心によるものと言えよう。
一方,Murad博士(当時バージニア大)はニトログリセリンを代表とする硝酸薬の血管弛緩作用を研究する中で,硝酸薬がNOを放出し血管平滑筋の可溶性グアニル酸シクラーゼを活性化してサイクリックGMP(cGMP)を生成することによって弛緩反応が起こることをすでに1977年に見出していた。しかしその生理的意義が不明なため,あまり注目を浴びなかった。19世紀から抗狭心症薬として広く用いられていたニトログリセリンの作用機序は長く不明であったが,その突破口になったのは彼の発見によるところが大きい。 EDRFは不安定な物質で半減期が数秒ときわめて短いため,その化学的同定は困難を極めていた。しかし,Furchgott博士とIgnarro博士らの研究グループは全く独立して1986年,米国ロチェスターで行なわれた国際学会でEDRFとNOの薬理学的相同性から両者は同一の物質であると提唱し,1988年に単行本「Mechanism of Vasodilatation」(P.M.
ノーベル生理学・医学賞を受賞したニュースは記憶に新しいのではないでしょうか。
私がいた前田先生のラボは、隣が大西俊一先生のラボで、そことは論文や本を読む会を一緒に開いたり、また下の階が小関治男先生の部屋で、遠心機を借りに行ったりしていました。さすがに発生生物学の大家である岡田節人先生のところに出入りすることはあまりありませんでしたが、この3つの研究室の間には垣根があまりなく私は自由に出入りしていました。単に行き来するだけじゃなく、全く違う発想で研究している人に出会い議論するのは、とても魅力的で大事なことだと思います。日本の大学は研究室単位でまとまる傾向がありますが、そういう垣根を取り払って全部共用できるようなシステムを創らないと、日本の科学はなかなか発展しないんじゃないかという思いがあります。最近でこそiPS細胞研究所のようにオープンラボを備えるところが増えてきましたが。
イグノーベル賞は、当初は疑似科学的な研究に対して皮肉をこめて与えられるケースがありました。たとえばホメオパシーの研究者ジャック・バンヴェニストは、1991年と1998年の二度にわたってイグノーベル化学賞を贈られています。
これらの功績により、ファーチゴット、F・ムラドとともに1998年のノーベル医学生理学賞を受賞した。 ..
京都に来て2年目の年に結婚しました。妻は東大の2年後輩で、同じ研究室にいたんです。修士課程を修了したところで京都の研究室に移ってきました。住まいも北白川のアパートに引っ越しました。ところが、すぐに妊娠していることがわかって、仕方なく彼女は1年足らずで東京に戻って、職探しを始めました。幸い、三菱化成の生命科学研究所ができたところだったので、そこに応募して採用されました。社長面接のときにはもうマタニティ姿で「この三菱本社の採用面接をマタニティで来たのは君が初めてだ」と言われたそうです。「我々は計画性がなくて、よくまあここまで来れたね」という話をよくします。
ノーベル賞の100年―自…ノーベル賞の100年―自然科学三賞でたどる科学史(中公… 馬場錬成/著馬場錬成/著
東京に戻ってからは今堀先生のもとで東大農学部の研究生となり、1974年に理学博士の学位を取得。そこから3年間、ロックフェラー大学のジェラルド・モーリス・エデルマン博士(抗体の化学構造に関する研究で1972年にノーベル生理学・医学賞受賞)の研究室に留学する。
(P19)これは硝酸でノーベル賞を貰ったイグナルが書いた本です。日本語に翻訳 ..
創立40周年記念出版の1冊。生活に直結する重要な発見が多い医学生理学賞には、発見に至る経緯や人間関係に数々のドラマが存在する分野だ。テーマはピロリ菌の発見、神経成長物質の発見、たんぱく質プリオンの発見など流行にも左右されやすい。1980年代には免疫が注目され、90年代には細胞間や細胞内の分子生物学がしばしば対象となった。最近ではDNAに関連したものがとりわけ重視される。なかにはバイアグラの登場を可能にした循環器系の情報伝達物質の発見のような業績もある。このようなノーベル賞の内容と受賞者にスポットをあて、受賞内容と、なぜ彼らが栄誉に輝いたのかに迫る。
Campbell)博士と共に、2015年ノーベル生理学・医学賞を受賞いたしました。 ..
そして圧巻は最終章。研究計画を綿密にピアレビューで審査し、研究管理としてPDCAサイクルを回すという近年流行りの制度が、大発見を阻害していると説得的に論じる。今ではちょっとした実験一つやるためにも、予算コードを書き込まないと設備も使えない。となると、フレミングのように遊ぶことはできず、自分を使ってカテーテルの人体実験をすることもできない。バイアグラを発見しても、計画外だといって評価されないかもしれない。
フェリド.ムラド アメリカの内科医 バイアグラを開発 一酸化窒素の発見 ノーベル賞を受賞 ウォーターハウス.フリードリヒセン症候群.
「白雲山金戈」はノーベル賞生理学・医学賞受賞者であり、「バイアグラの父」と呼ばれるムラド博士の指導を受けて開発したもので、その効果は先発薬のバイアグラとは変わらないとのことです。
2024年ノーベル化学賞を読み解く:計算でタンパク質の構造を予測し
1970年代に科学雑誌Cosmo創刊編集長を経て1982年より科学情報グループ「矢沢サイエンスオフィス((株)矢沢事務所)」主宰。内外の科学者・研究者,科学ジャーナリスト,編集者,翻訳者などのネットワークをつくり,アメリカ,ヨーロッパの取材を行いながら自然科学,エネルギー技術,医学,未来文明論,科学哲学,テラフォーミング等に関する情報執筆活動を続ける。「最新科学論シリーズ」37冊(学研),世界の第一線科学者へのインタビュー集『知の巨人』(学研),『ニューサイエンティスト群像』(勁草書房)などの一般科学書のほか,『ビームディフェンス』(時事通信社),『巨大プロジェクト』『B1戦略爆撃機』(談講社),『経済学のすべてがわかる本』(学研),『』『』『』(技術評論社),『日本人の精子力』(学研),『始まりの科学』(ソフトバンククリエイティブ)などの編著書を送り出してきた。がん医学書や動物医学書,科学図鑑も多い。
ファイザー社は一九九六年、この新薬の特許を取り、一九九八年に勃起不全の治療薬「バイアグラ」として販売を開始した。 ..
創立40周年記念出版の1冊。ノーベル化学賞の受賞内容は,現代の科学のテーマを象徴している。というのは,近年の科学を見渡すと,物理学や生物学といった従来の区分では...
世界中で話題になっているバイアグラ(これは商品名で一般名はシルデナフィルと ..
創立40周年記念出版の1冊。他の部門よりずっと遅れて1969年に新設された経済学賞に対しては異論,反論が少なくない。理由のひとつは,経済学はノーベル賞が対象とする科...
ニトログリセリンという薬は,ノーベルにノーベル賞を作らせ,ノーベル賞を創設した.
創立40周年記念出版の1冊です。ノーベル物理学賞は,2008年南部陽一郎氏,小林誠氏,益川敏英氏の3氏が受賞したことが記憶に新しいことでしょう。この賞は科学が人間に...
僕は大学の講義で,よくバイアグラの話をする.「EDを治療してくれる薬だ」と ..
血管内皮(内側の壁)で一酸化窒素(NO)がつくられ、これがシグナルとなって血管平滑筋に作用する。すると、cGMP(サイクリックジーエムピー)という物質が増加し、これが筋肉を弛緩させる反応につながって血管が拡張する。
こうしてバイアグラが誕生した。 ペニシリンを発見したフレミングは ..
私たちの気づかないうちに、全身の血管でこのような反応が日々起こっているわけだ。この一酸化窒素は、実はニトログリセリンが分解されてできる物質でもある。
学会で発表したら非難囂々、だがついには認められノーベル賞に輝く。
こう見てくるとイグノーベル賞は、一見ユーモラスでありながら、その背後に重要な洞察が隠されている研究が選ばれていることがわかります。単なるパロディにとどまらず、科学界に影響力のある賞になっているのは、イグノーベル賞のこうした方針によるところが大きいのではないでしょうか。