コブラは、1984年にジョン・ゾーンが作曲したゲームの理論を応用した即興演奏のシステム。プロンプターは、お馴染みの巻上公一が担当。


ヴォーカリスト由中小唄が率いる関西拠点の音楽集団、隠[ONU]が関東に初登場。2月下旬に2日間東京公演を行う。


[PDF] ジョン・ゾーン《コブラ》の研究 : 即興演奏を素材 とした ..

熟練したミュージシャンの即興演奏をブッチ・モリスが即時に編集&加工&構築するためにハンドサインによる指揮を行う、と言えるでしょうか。

約3時間のオリジナル版の登場により削除されていたエピソードやモリコーネの音楽が完全復活。

『コブラ - COBRA -』前野曜子 【スペースコブラOP】バンドカバー ..

細田成嗣 Narushi Hosoda1989年生まれ。ライター/音楽批評。2013年より執筆活動を開始。編著に『AA 五十年後のアルバート・アイラー』(カンパニー社、2021年)、主な論考に「即興音楽の新しい波──触れてみるための、あるいは考えはじめるためのディスク・ガイド」、「来たるべき「非在の音」に向けて──特殊音楽考、アジアン・ミーティング・フェスティバルでの体験から」など。2018年より「ポスト・インプロヴィゼーションの地平を探る」と題したイベント・シリーズを企画/開催。

そう考えると「コブラ」のシステムを最大限に活用するのであれば、できる限り異なる背景を持つミュージシャンたちが集った方が、演奏内容に広がりが出てきて面白いと言える。反対に、同じ楽器あるいは同じ領域で活動するミュージシャンばかりが集まってしまうと、音楽の幅が狭くなり面白味を欠く可能性が高くなる。とはいえ、つねにそれが悪い方向に向かうわけでもなく、例えば1992年に録音されたアルバム『John Zorn’s Cobra: Live at the Knitting Factory』に収録されている一部楽曲で聴かれるように、ヴォイスのみのアンサンブルが功を奏することもある——インドネシア・ジョグジャカルタのヴォイス・パフォーマー、ルリー・シャバラは、ゾーンの「コブラ」を一つのインスピレーション源として、独自のシステム「ラウン・ジャガッ」を編み出した。こうした観点から今回のイベントに関して付言すると、様々な背景を持つミュージシャンたちが集ったが、全員が初対面というわけではなく、それぞれになんども共演歴のあるミュージシャン同士も含まれており、そのように参加メンバーの関係性が緩やかに重なり合っているというところも、コンサートを成功へと導いた一つの要因だと言えるのではないだろうか。

トランペットYouTuber7人がZARD“負けないで”を演奏してみた

ハンドサインも20種程度あり、しかも複雑です。リハーサルが必要になります。熟練したミュージシャンの即興演奏を尊重しながらも指揮者であるブッチ・モリスのある種の作曲作品とも言えると思います。

秘密裏のルールにもとづいてセッションを行うということからは、草創期のビバップを彷彿させるところもある。現在ではコード・プログレッションとアドリブの演奏方法がある程度ルールとして明文化されているため、セッション時になにが行われているのか観客もその気になればそれなりに理解することができるようになっている。だが草創期には、一体なぜアドリブがあのように進行しているのか、全くわからずに聴いていた観客も多くいたのではないだろうか。ただし、ビバップではビバップの音楽のルールが共有されているものの、「コブラ」では一つの音楽の言語を共有しているわけではなく、あくまでもゲーム・システムが共有されているに過ぎない。そこでどのような演奏がされるのか、どんな音を出すのかは演奏家に委ねられており、そのため、決して同じ音楽の言語を共有していなくとも、セッションを成立させることができてしまう。先にも記したように、それが成立するのは、ソロとしても音楽を成り立たせることができるような卓越した即興演奏家であることがまずは大前提としてある。

スペースコブラOP「コブラ」のベースを演奏してみた [音楽・サウンド] とりあえずオーディオインターフェースを買ったのでその実験を兼ねて。

休憩時間には、ステージ裏で出演者たちが前半の演奏内容について興奮気味に会話し、盛り上がる様子は客席にまで聞こえてきていた。さながら多人数で参加するゲームを遊び終えたあとのようでもある。ただし、もしもゲームのルールを全く知らない観客がその場に居合わせていたのだとすれば、一体なぜ盛り上がっていたのか理解できなかったのではないだろうか。それはまるでルールを知らずにスポーツを観戦するようなものである。もちろん、スポーツであっても秘密裏に出される指示、例えば野球においてベンチにいる監督がランナーやバッターに向けて出すサインまで把握する必要はない。だが野球それ自体のルールを把握しておかなければ競技として楽しむことはできないだろう。同じように「コブラ」においてもルールの全貌を把握することはできないにせよ、プロンプターの役割や大まかな指示内容、演奏者がヘッドバンドを装着することの意味など、ある程度の知識を持ち合わせていないとゲームとしてパフォーマンスを楽しむことは難しい。反対に、事前にある程度のルールを把握しておけば、演奏者同士がステージ上で慌てふためく姿も一つの見どころとなることだろう。むろん音響の推移だけに耳を傾けてもよいのだが、「コブラ」はある種の演劇的な要素を含んだ即興パフォーマンスとしてコミュニケーション全体をスポーツ観戦さながらに楽しむこともできる作品なのである。

すでに指摘したところだが「コブラ」のユニークな点の一つは、唐突に演奏が中断/開始されるストップ・アンド・ゴーの快楽にある。グルーヴィーで音楽的な演奏が続いたかと思えば、突如として中断されノイズが轟き、その後、なにごともなかったかのようにグルーヴィーで音楽的な演奏が再びスタートする。こうした展開は、通常の自由な集団即興ではほとんど起こらないと言っていい。大音量での演奏へと急激に突入することも、指揮によるその場でのディレクションがあればこそ生じる。グラデーションを描くように徐々に音量が増加していくのではなく、突如としてノイジーな展開が到来するシーンは、聴き手に驚きと爽快感をもたらすのではないだろうか。また、矢継ぎ早に演奏者が交代するスリリングさも、通常の自由な即興演奏ではあまり見られないものだ。まるで次々にシーンが切り替わっていく映像作品の劇伴、とりわけ展開が激しいカートゥーン・ミュージックを聴いているかのようでもある。言うまでもなくそれが可能なのは、各演奏者が卓越した技能を持ち合わせているからに他ならない。反対に言うと、楽器の扱いに長けていないと「コブラ」に参加することは難しい——むろんここで必要とされる「技術」は、必ずしも教科書的な意味での既存の音楽技術である必要はない。加えてユーモアという点も重要だ。この日のパフォーマンスでは、演奏中にステージ上でなんども笑いが起こっていた。これもまた、アスリートにも比せられる演奏者の技量があればこそ、(ディス)コミュニケーションを通じて笑いが生じていたのではないだろうか。


本論文は,アメリカの音楽家,ジョン・ゾーン(John Zorn 1953- )の代表作《コブラ(Cobra)》

こうしたユーモアは「コブラ」の一つの醍醐味とも言えるのかもしれない。ユーモアということで言えば、2セット目ではその後、坂口がキーボードの上に短いシールドケーブルをガサゴソと擦りつけるシーンがあり、この音を模してドラムスの秋元修と山本達久が微かな響きをパーカッシヴに立てる一方、コンピュータのokachihoは目元を擦るような仕草で対応。他の場面でokachihoは、サンプリングしたアニメーションのセリフを絶妙なタイミングで流して笑いを誘うこともあった。だがユーモアだけが続くわけでもなく、2セット目の終盤では、この日最も激しかっただろう全員でのノイジーな合奏へと突入し、さらには各メンバーがプロンプターの素早い指示に従って矢継ぎ早に短いフレーズを交代しながら繰り出していくスリリングなシーンへと展開していった。2セット目の最後は山本と秋元がドラムロール合戦のような演奏を行ったあと、巻上公一がゲリラ・システムを受けて着用していたキャップを不意に落とし、会場が笑いに包まれ拍手で締め括られた。

既に発表されている「へでもねーよ」「青春病」「旅路」、ストリーミング累計2億回再生を突破した「きらり」、紅白歌合戦でサプライズ生演奏 ..

パフォーマンスから振り返る「コブラ」の魅力、あるいは観客はいかにして楽しむことができるのか

【楽譜】コブラ / 前野 曜子(メロディ譜)提供:大岡晋平 | 楽譜@ELISE

わずか30秒で終了した後半1セット目に続いて行われた2セット目では、冒頭で緩やかに全体がクレッシェンドしていき、不協和なアンサンブルを支えるようにドラムスの山本達久とベースのかわいしのぶがグルーヴィーなリズムを形成するところから始まった。プロンプター・巻上公一の指示でシーンを切り替えていくほか、フルートの松村拓海やサックスの松丸契らが積極的にハンドサインで意思表示を送る。短いフレーズを多人数でキャッチボールするように投げ合う点描的なセッションのあと、いくつかのシーンの切り替えを経て、それまで主に即興的なヴォイス・パフォーマンスを聴かせていた田上碧が突如として童謡「朧月夜」の独唱を始めた。すると他の演奏者全員が挙手して意思表示し、田上が4人を指名。タイミングを見計らって合奏が始まったのだが、野本直輝のモジュラーシンセがギィギィとノイズを出しつつ、かわいしのぶのベース、坪口昌恭のピアノ、坂口光央のキーボードが惚けたようにズレた音を添え、なんとも奇妙な音楽となっていた。

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2018年を最後に調布市の主催を離れたことも影響しているのだろうか、再び空白期間を経て、今年、「コブラ」が「JAZZ ART せんがわ」で久しぶりに上演されることとなったのである。フェスティバル3日目となる9月18日に行われた「コブラ」では、前半で10分以内のパフォーマンスが4セット、休憩を挟んだ後半では30秒~10分以上とセットごとに長さが大きく異なるパフォーマンスが4セット行われた後、メンバー紹介を経て、最後にアンコールを兼ねた短いセットが披露された。総じて前半は探り合うような緊張感があり、後半は各メンバーがリラックスしつつより柔軟な演奏を聴かせてくれたように思う。その中でもとりわけ、最も長い時間(約12分半)演奏された後半2セット目がハイライトだったと言えるのではないか。

[PDF] JASMIM ジャーナル(日本音楽即興学会誌) vol

2008年から2013年にかけて、「JAZZ ART せんがわ」では毎年「コブラ」が開催されていた。全て日曜日となっていることからも窺えるように、この時期の「コブラ」はフェスティバルの最終日に、最後の演目としていわば大トリを飾っていたのである。すなわち「コブラ」は「JAZZ ART せんがわ」を象徴する催しの一つだった。その後、2014年から2016年にかけて3年間の空白を経て、フェスティバル内の一つのイベントという位置づけで2017年と2018年に再び開催されることとなる。ただし、3年間の空白期間に国内で「コブラ」が全く開催されなかったわけではなく、フェスティバル以外の場所に目を向けると、巻上公一がプロンプターを務めたイベントが2014年から2016年にかけてたびたび開催されている。

[Bass Cover] コブラ (playing: Otomania)

これだけ指示の内容がはっきりしているとバスケス個人の即興と言えなくもないとは思いますが、参加者に生じる演奏のズレや解釈の違いをも許容して瞬時に皆で演奏に組み立てていく様はやはり集団即興のとてもいい見本のように思います。

音楽・サウンド · 演奏してみた 弾いてみた Otomania ベース アニソン コブラ COBRA

2017年9月15日(金)
John Zorn’s COBRA
山本達久 (ds)
ジョー・タリア (ds)
坂口光央 (key)
吉田隆一 (bs)
藤原大輔 (ts)
太田恵資 (vl)
大隅健司 (voice)
諏訪創 (dolçaina)
纐纈雅代 (as)
柳家小春 (shamisen)
熊坂路得子 (acc)
後藤篤 (tb)
パール・アレキサンダー (b)
巻上公一 (prompter)

STAY FREE/COBRA(コブラ)の演奏されたライブ・コンサート

2010年7月11日(日)
John Zorn’s COBRA 東京せんがわ作戦 大友良英部隊
Haco (vo, electronics)
吉田アミ (vo)
やくしまるえつこ (vo)
スネオヘアー (vo, g)
高田漣 (steel guitar, etc)
石川高 (shō)
四家卯大 (cello)
Sachiko M (sinewaves)
AYA (b)
OLAibi (perc)
山本達久 (ds, perc)
大友良英 (prompter, g)
巻上公一 (prompter, vo, theremin)

演奏の方法《コブラ(Cobra)》の教育的意義を検討するものである。寺内 ..

2009年6月14日(日)
John Zorn’s Cobra Tokyo Sengawa operation 内橋和久部隊
青木タイセイ (tb)
イクエ・モリ (electronics)
石橋英子 (key, vo, etc)
内橋和久 (g)
ジム・オルーク (g)
シルヴィー・クルボアジェ (p)
千住宗臣 (ds)
七尾旅人 (vo)
ナスノミツル (b)
山本達久 (ds)
横川理彦 (vl)
渡邊琢磨 (p)
巻上公一 (prompter)

(どなたかモリザットで演奏したコブラのアレンジの元ネタに気付かないかなぁ…w)

ジョン・ゾーンによって「発明」されたコブラは前述した二人のオーケストラのような指揮者がいる集団即興演奏ではありません。

Toy Revolution/COBRA(コブラ)の演奏されたライブ・コンサート

そうした他のコンダクト・ミュージックと比べるならば、「コブラ」の大きな特徴はやはり、第一にはプロンプター(指揮者)と演奏者が双方向的な関係性を取り結んでいる点にあると言うことができるだろう。例えばブッチ・モリスの「コンダクション」が、あくまでも指揮者であるモリスが参加メンバーの演奏をコントロールすることに力点が置かれていたのに対し、「コブラ」ではむしろコントロールの失敗が多々見られるような、互いの(ディス)コミュニケーションをゲームのように楽しむことに特徴がある。そのため第二の特徴として、一貫して音楽的な流れを生み出すことが目指された「コンダクション」やその他のコンダクト・ミュージックに対し、「コブラ」では唐突に演奏が途切れたり始動したりする切断と接続のめまぐるしいダイナミズムが要点となっており、全体で一つの流れを作るという以上に、必ずしも脈絡があるわけではない個々の場面を矢継ぎ早に提出していくところが聴きどころとなっているのである。