『コブラ』寺沢武一氏のSNSに不適切画像 プロダクションが謝罪


そうした漫画におけるSF的なアイデアの見せ方でも、当時の少年漫画にあって寺沢武一は大きく抜け出していたところがあった。少女漫画ではその頃、竹宮恵子が『地球へ…』、萩尾望都が『スター・レッド』を連載していたが、そうした作品とはまた違ったSF冒険活劇の登場を、喜んだSF好きも結構いたのではないだろうか。


コブラからの伝言・X68Kユーザー寺沢武一先生|サイボーグMSX

早くから作品制作にコンピューターを導入、デジタルコミックの先駆者としても知られ、海外でも高く評価された。ほかの作品に「BAT」「鴉天狗カブト」「ゴクウ」などがある。

名作「コブラ」を通して、寺沢武一氏の素晴らしい手腕を振り返ります。

「コブラ」作者寺沢武一氏逝去…1998年に脳腫瘍判明 | Game*Spark

寺沢氏の漫画家歴は長く、1978年には「コブラ」で初連載を獲得。「週刊少年ジャンプ」でも掲載が1984年まで続き、以降も「スーパージャンプ」など複数の媒体で「コブラ」を描き続けました。

SFアクション漫画「コブラ」で知られる漫画家、寺沢武一(てらさわ・ぶいち)さんが8日、心筋で死去した。68歳だった。

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また、「BLACK KNIGHT バット」、「鴉天狗カブト」、「ゴクウ」、「武 TAKERU」、「GUNDRAGON」など様々な作品を生み出しながら、代表作とも言える「コブラ」の執筆も定期的に続け、2019年には「COBRA OVER THE RAINBOW」の連載を開始。長き生涯にわたり、熱意と意欲を持って漫画執筆を続けた作家でした。

筆者もいちファンとして、各作品……特に「コブラ」を愛読し、のめり込んできた読者のひとりです。脳腫瘍といった大病で筆を置く時期もありましたが、そのたびに寺沢氏は必ず舞い戻り、素晴らしい作品を提供し続けてくれました。

銀座で漫画家・寺沢武一さん原画展 「コブラ」などの直筆原画40点

今回は、昨年68歳でなくなった寺沢さんの代表作の原画など約100点を展示。まだパソコンでは8色しか使えなかった85年から、デジタルマンガに取り組んできた先駆者の一面も紹介する。

同書は1978年にデビューし、2023年9月8日にこの世を去った寺沢の仕事を「コブラ」「BLACK KNIGHT バット」「ゴクウ」「鴉天狗カブト」「武 TAKERU」といったヒーローたちのイラストで振り返る1冊。これまでに発表してきたカラーイラストや原稿から厳選した作品が収録されている。また初公開となるCGイラスト用の線画原稿、未発表となるデビュー当時の短編の習作、「コブラ」の未使用ネームや新作のアイデアスケッチなども収められた。


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ほかに「鴉天狗カブト」「ゴクウ」など。コンピューターを用いた漫画制作に80年代はじめから取り組み、デジタル漫画の先駆者的存在としても知られた。

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漫画「コブラ」の連載は、1978年に「週刊少年ジャンプ」で始まりました。当時の週刊少年ジャンプは、「キン肉マン」や「ドーベルマン刑事」などの人気漫画が活躍。また後続で「Dr.スランプ」「キャプテン翼」「キャッツ・アイ」なども登場し、大きな盛り上がりを見せます。

食玩 トレーディングフィギュア ヤング・コブラ(レア)「寺沢武一キャラクターズ スペースアドベンチャーコブラ」 ..

本作の主人公は、作品名と同名のコブラ。フルネームは不明で、本名なのか偽名なのかも分かりません。左腕に銃(サイコガン)を仕込み、見事なプロポーションを持つ相棒「アーマロイド・レディ」と共に、宇宙船「タートル号」を駆り様々なお宝を華麗に奪います。

「コブラ」などを手掛けた漫画家の寺沢武一氏が心筋梗塞のため9月8日に死去 ..

寺沢さんは北海道生まれ。浪人時代に投稿した漫画が入賞したことから漫画界入り。1976年、上京して漫画部のスタッフになった。アシスタントをしながら、の手塚賞佳作を受賞。で連載したデビュー作「コブラ」は、左腕に武器「サイコガン」を着けた海賊コブラの活躍を描いた作品で大ヒットし、アニメ化もされた。

連載開始40周年を迎えた寺沢武一先生による人気漫画『コブラ』のカルタ「コブラ・パーティ」が登場。ニコニコ超会議2018で先行販売されます。

コブラの性格は、軽口が多くユーモアに溢れており、“仕事”の最中もあまり緊張感を見せません。その砕けたスタイルは女性相手でも変わらず、美人と見れば興味を示し、手慣れた様子で声をかける場面も多々あります。

空山基画伯 (Sorayama Hajime) x 寺沢武一 コブラ40周年記念展 開幕

こうした性格の主人公は、特に当時の少年漫画ではかなり珍しい部類でした。しかもコブラの場合、容姿との兼ね合いもまた特徴的です。こうしたキャラクターの場合、二枚目やイケメンでもおかしくありませんが、コブラの見た目だけを語るならばずばり「三枚目」。たれ目で団子鼻という見た目は愛嬌こそ感じますが、ハンサムとは言い難い容姿です。

寺沢武一の『COBRA』完全新作も連載開始! オトナの男のための新WEBコミック誌「COMIC Hu」11月19日ついに創刊!

マンガ家の寺沢武一さんが9月8日に死去した。68歳という享年から逆算して、『コブラ』を描いて漫画界に登場してきたのが22、3歳といった若さだったと知り、その卓越した画才ぶりに改めて頭を垂れるしかない。寺沢武一の何がそれほどまでに凄かったのか。その凄さがエンターテインメントの世界にどれだけの貢献をもたらしたのか。

寺沢武一 原画展 ART of コブラとか。 □作者プロフィール

【兵庫】「コブラ」で知られる漫画家・(ぶいち)さんの直筆原稿などを集めた企画展「デジタルマンガの先駆者 寺沢武一展~元・のアシスタント~」が、町の市立手塚治虫記念館で開かれている。来年2月19日まで。

SFハードボイルドマンガ『コブラ』の連載開始45周年を記念し、原作者・寺沢武一の正式な監修を受けた複製版画が登場。

『コブラ』が2008年に改めてアニメ化されたタイミングで、寺沢武一さんにインタビューしたことがあった。記事も当時のメモも手元にないため、細かなニュアンスは記憶に頼るが、寺沢さんの漫画にはやはりアメコミの影響があるのかと尋ねた時、そうではないといった返答があったように覚えている。自分が影響を受けたのはBD(バンドデシネ)だ。確かそう話してくれた。

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1977年に読み切りで掲載された後、1978年に「週刊少年ジャンプ」で『コブラ』の連載が始まった時、誰もがそのスタイリッシュな作風に衝撃を受けた。マッチョな男性キャラクターやグラマラスな女性キャラクターが高い等身で描かれていて、ポージングもグラビアから抜け出してきたようにいちいちカッコ良い。そうしたビジュアルから、『バットマン』や『スパイダーマン』といったアメコミを思い浮かべる人が多かった。

兵庫県宝塚市の手塚治虫記念館で、宇宙海賊の活躍を描いた「コブラ」で知られる漫画家寺沢武一さんの企画展が開催中。2025年2月19日まで。

寺沢さんは北海道出身。1976年に上京して、手塚に師事。78年に独立し、週刊少年ジャンプでデビュー作「コブラ」の連載を始めた。左腕にサイコガンを仕込んだ宇宙海賊が星々を飛び回り、悪の組織を退治するストーリー。80年代からは作品制作にコンピューターをいち早く取り入れ、デジタルコミックという新たな分野を切り開いた。

寺沢武一 コブラ40周年記念展 -COBRA the Illumination

こうしたいくつかのギャップと、ここ一番では決める振る舞いが、コブラという人物を魅力的に引き立てます。そしてお宝を狙う一方で、決して欲深いわけではなく、困難への挑戦を楽しんでいる面が大きい模様です。例えば、相棒のレディを助けるために向かった「カゲロウ山」の山頂にはニ十トンもの金塊があったのに、コブラは全く目もくれずに下山しています。

漫画「コブラ」作者 寺沢武一さん死去 | 全国のニュース | 福井新聞D刊

いわゆる「正義の人」からはほど遠く、強いて言えば劇画系漫画に近い主人公像と言えるでしょう。そんなコブラを、敢えて少年漫画の主人公に据えた寺沢氏の先見の明は、コミックの発行部数5,000万部超え(全世界累計)という大成功をもって正しく証明されました。

COBRA コブラ大解剖 2015年4月25日発行 サンエイムック 寺沢武一ロングインタビュー 単行本未収録カラーコミック特別収録

実際は、フランスのジャン・ジロー(メビウス)をはじめとしたBD作家を好んで良く読んでいたようで、1974年創刊の『メタル・ユルラン』(米題『ヘビーメタル』)などに掲載されるような、肉体美を兼ね備えたイラストに近い雰囲気が、寺沢武一の作風には漂っているように感じられる。あるいはフランク・フラゼッタやボリス・ヴァレホといったアメリカのイラストレーターが描く、ファンタジー作品のイラスト表現に通じるところもある。

【訃報】「コブラ」の作者・寺沢武一さん。2023年9月8日に永眠。

SFアクション漫画「コブラ」で知られる漫画家、寺沢武一さん(2023年に68歳で死去)の作品を集めた企画展が、兵庫県宝塚市武庫川町の市立手塚治虫記念館で開かれている。寺沢さんはデビュー前に手塚治虫の手塚プロダクションでアシスタントをしていた縁があり、直筆原稿など計約100点を展示している。